吉田松陰の教育思想における孔孟儒学について
要旨:吉田松陰は維新の志士が多数輩出した松下村塾の主宰者である。彼の思想は門下生に大きな影響を及ぼした。吉田の教育思想を研究する際に、孔孟儒学を抜きにして語れない。そこで、本論文では、先行研究に基づき、まず、吉田松陰の教育思想の形成を全体的に研究する。そして、幽室及び松下村塾における教育実践を考察し、吉田松陰の名文や手紙などを分析し、吉田の教育思想における孔孟儒学について考査したい。
キーワード:吉田松陰;教育思想;孔孟儒学;幽室;松下村塾
吉田松陰は維新の志士が多数輩出した松下村塾の主宰者であり、正義を貫き「安政の大獄」の犠牲となった悲劇の人物である。彼は松下村塾での教育などを通じ、高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞など、維新の激動期に大きな役割を果たした人達を育てた。吉田の思想はどのように彼の門下生達に影響を及ぼして、近代の歴史にいかなる影響をもたらしたのだろうか。近代の日本を研究する為に、吉田松陰を研究することが必要である。
吉田松陰は明治からいままで多くの領域で利用された人物である。日本では、吉田松陰に関する研究は、膨大な数に上る。吉田松陰歴史館の統計によると、吉田松陰に関する著作は、明治後半期に20冊、大正に25冊、昭和は敗戦までに190冊に達している。例えば、
奈良本辰也(1951)の『吉田松陰』という著作では「門下から志士や元勲を輩出した結果からみて、彼を教育者が本職であったようにいう人もあるが、彼の本領は、決してそんなところにあったのではないであろう。彼は野に放てば虎である。不正があれば断じて許さず、不義が起れば断乎として戦う。教育者として静かに後進に学を講ずる性質の人ではない」と述べられている。
徳富蘇峰の『吉田松陰』は「我等は吉田松陰先生を決して偶像視するものではない。我等が偶像視せんとするも、先生は遠慮会釈なく、自分の欠点を暴露け出して、これを公開せねば、安心出来ない程の正直漢であった。hellip;hellip;先生は實に日本男児の眞面目を具えていた。その第一は大義名分を明らかにしたることであった。その第二は自ら身を以てその理想に殉えたることであった。第三はその一切の動機は君国の為に存して、殆ど寸毫も自己の為めに為し、若しくは為さんとしたることがなかった。而して先生の特色は實に多血多情にして、最も人情味の饒きことであった」と述べている。
広瀬豊(1942)の『吉田松陰の研究』では「松陰の一生は教育に尽きる。明倫館の教育者!獄中の教育者!松下村塾の教育者!防長人の教育者!日本人の教育者!人類の教育者!」と述べられている。政治思想史の分野から、吉田松陰の「尊王攘夷」思想を研究する学者は鹿野政直と尾藤正英などである。
中国国内では、吉田松陰について研究する書籍と論文もある。例えば、郭連友(2007)の『吉田松陰与近代中国』は吉田松陰と中国の関係の角度から、梁啓超と吉田松陰、吉田松陰の人性観と孟子性善論などを中心に吉田を分析した。唐利国(2005)は『近代日本における吉田松陰像』という論文の中で井上哲次郎と関根悅郎の松陰論を取り上げ、近代日本の吉田松陰像の一端を明らかにすると述べている。
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