先行研究
先行研究では、前の研究者の研究成果全般を取り上げることはあまりなく、日中自動詞受身文の比較研究について、代表性がある理論は次のように示す。
日本語の受身文の分類については、数多くの分類方法がある。寺村秀夫(1982:74)によれば、日本語の受け文は「間接受身文」と「直接受身文」に分けられる。また、日本語の教材『新編日本語』(2010)によれば、「間接受身文」はさらに、「自動詞受身文」と「目的語がつく受身文」に分けられる。
中島悦子(1993)は日本語と中国語の受身文との比較対照については、普通中国語の受身は日本語の直接受身に対応し、間接受身に対応する受身構文はないというのが大方の見解であり、特に、自動詞受身文は日本語だけに見られる顕著な特徴で、中国語においては成立し得ないと述べている。
守屋広則(1995:283)は日本語の中の「雨に降られた」、「風に吹かれて」のような、自動詞による受身文は中国語には存在しない、受身文に使える動詞は、動作、行為の対象を表す目的語を従える他動詞でなければならないことを表すとしている。
馬建忠(1898:160-166)は「外动字之行,有施有受。受者局宾次,常也。如受事居主次,则为受动字,明其以受者为主也」、「凡行之留于施者之内者,曰内动字。内动者之行不及乎外,故无止词以受其所施,内动之不得转为受动者此也。」と述べている。ここの「外动字」は他動詞という意味で、「内动字」は自動詞という意味である。この段落の意味は中国語の中では、受身の表現に使える動詞は他動詞だけという。
梅暁蓮(2009)は中国語受身文の基本的な特徴は主語が述語の目的や動作の対象になることである。主語になれるのは人や物、或いはその人の所有物のことである。従って、受身文の述語は他動詞だけに限定され、自動詞は受身文の述語になれないと述べている。
以上の先行研究ではいずれも、自動詞受身文が中国語の中に存在しない、自動詞受身文を日本語だけに見られるものとしている。しかし、刁彦斌(2006:434-438)は、自動詞だけではなく、形容詞までも受け身表現の述語になれることを指摘した。また、范建华(1990)も自動詞が受け身表現に使えると考える。
本論では、日本語と中国語に本来存在する自動詞受身表現を全面的に研究し、日本語における自動詞受身文は中国語においては成立し得るのかについて、研究していくことにする。
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